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【ISEKIZEMI vol.1】Jリーグクラブ初の事業戦略子会社を設立|山﨑 蓮(2014年卒業)

 
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城西大学経営学部伊関ゼミのOB・OGで、各界で活躍をしている方にこれまでのキャリアや将来の展望をインタビューする「ISEKIZEMI」。
記念すべき第1回目のゲストは、株式会社トリニータマーケティングにて代表取締役をされている山﨑 蓮(やまざき れん)さんです。

常に諦めず苦難を乗り越え続けて、現在はサッカークラブ・大分トリニータの子会社社長として活躍されています。
そんな山﨑さんがこれまでの人生を通して得た、仕事で成果を出すコツや、結果が出せないときの心の保ち方、そしてこれからスポーツを通して実現したい世界について伺いました。

人生の軸は「絶対に諦めない」こと

Jリーグ初のマーケティング子会社を設立

――現在のお仕事について教えてください

サッカーJ1大分トリニータを運営する大分フットボールクラブの子会社、株式会社トリニータマーケティングの代表をしています。
当社のミッションは、サッカークラブの新しい収益源をつくることです。
サッカークラブは、「リーグへの依存」であったり、「地域・行政からの支援金」など、通常の企業とは異なるガバナンスや特殊な収益構造になっています。
これまでも、今も、本当に多くの方に応援・ご支援をいただいて運営することができています。
しかし、ここ数年で業界に少しずつ変化が起きています。
Jリーグクラブへの投資を行うIT企業が増え、従来の「応援モデル」から「ビジネスモデル」へと移り変わろうとしています。
今後は、稼げる事業づくりやそれに伴う強固な組織体制が必要になります。
そういった背景から、トリニータマーケティングを設立しました。

(参考記事)     Jリーグクラブ初のマーケティング子会社「株式会社トリニータマーケティング」を設立 

挫折の中でみえた人生の軸

ーー現在、プロスポーツクラブの経営に携わっていますが、昔からこの分野への興味・関心はあったんですか?

もともと小学校から高校までサッカーをやっていたので、スポーツはすごく好きでした。
地元が静岡で、サッカー人口が多い地域だったんです。サッカーに興味があるというよりも、負けず嫌いだったから「やるからには絶対勝ちたい」と思って小中高とサッカーを続けた感じです。
中学では、中高一貫校に入学してサッカー部に入りました。自分自身はTHE凡人だったこともあり、なかなか試合に出ることができない時期もあったんですが、最終的にはレギュラーの座を勝ち取り全国大会へ出場しました。

――全国大会はすごいですね!高校ではどうだったんですか?

高校1年の時にサッカーを辞めたんですよね。
サッカーは好きだったのですが、練習が辛かったり、監督が怖かったりして逃げてしまったんですよね。私の人生で唯一後悔しているのがこの時です。
高校生活は失われた3年でした。本当クズの象徴だったなって・・(苦笑)
それでなんとなく入学したのが「城西大学」でした。

――なるほど。そこからどのようにして人生の軌道修正をしていったんですか?

サッカー部を辞めて多くのものを失ったことに気が付きました。
大好きなサッカー、共に戦ってきた仲間、周囲の信頼や期待、将来の選択肢・・・
これは二度と味わいたくない。
だから「絶対に逃げない、絶対に諦めない」ことを胸に誓いました。
これが人生のターニングポイントで、この時から私のスタイルは一切ブレていないと思います。

がむしゃらに働くことで見えてきた自分の課題

人とのつながり、明確な目標設定

――大学入学後、将来の進路はどのように考えていたのか教えてください

とにかく目立つこと、世の中にインパクトがあることを成し遂げたいと思っていました。
それは身の丈でやることではなくて、日本トップ集団の中で成果を出すことをイメージしていました。
だから大学在学中は、常に上をみることを意識していました。

――具体的にはどのような行動をしていましたか?

2つ意識していたことがあります。
1つは、多種多様な多くの人と出会うこと。
大学の友人とばかり一緒にいるのではなく、他大学や社会人など幅広い人たちと交流をしていました。
真面目なことも不真面目なことも色々経験しました(笑)
もう1つは、何をやるにも明確なゴール設定をすること。
ゴールが決まってないから何となく行動しちゃうんですよね。
ゴールが決まっていると、そこにたどり着くために必要な事が可視化されて、時間軸で明確な目標ができてくるんですよね。
アルバイトもそういった意識のもとやっていました。
「大学4年生までに、アルバイト従業員50人の中で時給、役職でトップに立ちたい」
このゴールに向かって、具体的な目標設定を行いチャレンジしていました。
同じ意識でやっている人がいなかったので、前倒しで達成することができました。

――就職活動はどうしたんですか?

会社説明会やインターンシップにはかなりの数参加しましたが、面接はほとんど受けていないですね。
なんかあまりしっくりこなかったんですよね。
そんな時不思議な出会いがあって最初の会社に入社することになりました。

――不思議な出会い気になります・・・

新宿の飲み屋で、たまたま隣に座ったのがきっかけです。
世間話をしていたら、「これからマッチングアプリの事業をやるんだ」と聞いて。
面白そうだと思ったので、インターンとしてジョインさせてもらうことになりました。

過酷な日々で手にした確かな成長

――インターンとしてジョインしてそのまま入社したんですね?

そうですね。そのまま入社して、地獄のような生活が始まりました・・
最初から非常に広範囲で業務を任せてもらいました。
サービスのマーケティング、カスタマーサポート、リアルイベントの企画・運営など。
全てが分からないことだらけだったので、とにかくがむしゃらに働きましたね。

――どれくらいの時間を働いていましたか?

スタートアップならどこもそうだと思いますが、1年の大半を寝袋で過ごしました。
めちゃめちゃ過酷でしたね。
ただのそんな生活にも終止符が訪れました。新卒2年目の12月にサービスの事業譲渡が決まったんですよね。

――その時は、どんな心境でしたか?今後のキャリアについてはどのように考えましたか?

ほぼ毎日使っていた寝袋もボロボロで、新しいものを買おうかと思っていたタイミングなのでちょうど良かったです。
キャリアについては、新卒で入った会社では多岐渡って経験をさせてもらったので確実に成長はしているものの、ビジネスマンとしての基礎能力やマーケティングノウハウなどの課題があるなと感じていました。
一度きちんとした会社で学ぶ必要があるなと思い転職をしました。

諦めないことで手にした大きな成果

株式会社VOYAGEGROUPへの転職

――1社目を退職後、次に選んだ会社はどこだったんでしょう?

株式会社VOYAGE GROUP(以下、VOYAGE GROUP)に転職することにしました。
この会社と出会うきっかけは、マッチングアプリのリアルイベントの会場で使わせていただいた原宿のパンケーキ屋なんですけど(笑)
そこのオーナーさんと話をする中で、VOYAGE GROUPを紹介してもらい、面接を受けて入社することになりました。
VOYAGEGROUPはGreat Place to Work(R) Institute Japanの働きがいのある会社ランキングで3年連続1位の人気会社で、受かるかな〜と少し不安でした。

(参考URL) 株式会社VOYAGEGROUP

――VOYAGE GROUPでは4年間はどんなお仕事をされていたんですか?

最初はアドテクノロジー系の子会社(株式会社fluct)に配属をされ、新規事業の立ち上げに参加しました。
ただ、それが全然売れなくて苦労しました。
プロダクト的に売るのが厳しいなと感じていたんですが、そこは営業力でカバーしようと思い、がむしゃらに営業をかけていましたね。
1日8件くらいアポを取って頑張っていました。トライアルを利用してくれる企業を獲得できて新規受注数は伸びたんですが、トライアル後の継続には至らず、結局売上を伸ばすことができなかったんです。
周りのメンバーも退職や異動をしていき、気がついたら当初のメンバーは自分ともう一人しかいませんでした。
他の部署や子会社は業績絶好調だったので社内で息をするのも苦しいような毎日でしたね。

――それでも諦めずにやり続けたのは過去の経験からですか?

そうですね。そこだけです。
仕事は全然楽しくありませんでした。サービスは売れないし、周りのメンバーもいなくなるし。
入社してから1年ほどでそのサービスは撤退したんですが、撤退するまで一度も楽しいと思ったことはないです。

――サービス撤退後はどうされたんですか?

1年間結果が出せなかったのでクビになるかなと思ったんですが、一人だけ「これだけ仕事をしているのになぜ結果が出ていないのか」と気にかけてくれた方がいて、自分の部署に呼んでくれたんです。
見てくれている人がいるとはこういうことなんだなってこの時思いました。
人のために、結果を出すことをこの時に初めて感じました。

そうして異動先で新しいサービスを売ってみたら、1ヶ月くらいで売上が上がるようになって、会社で賞もいただくことができました。
補足:実際には朝7時から夜中の1時まで毎日仕事していました(笑)
総会の時に壇上に上がった時、嬉しかったな〜。(思い出)
その時に賞状を読んでくれたのが、私は拾ってくれた上司だったんですよね。感動しました。
その後も周りにも恵まれて昇格を重ね、最後は局長として2つの局を任されていました。

写真:株式会社VOYAGEGROUPの総会で受賞した際の記念撮影(事業部メンバーと)

写真:株式会社VOYAGEGROUPの総会で受賞した際に贈呈された特別なボトル

成功のコツ

正しい努力とPDCA

――精神面だと「絶対に諦めない」ことを大切にされていると思いますが、行動レベルだとどのようなことを意識していますか?

正しい努力をすることですね。
どれだけ時間をつかっても、がむしゃらにアクションをしても間違ったことをしていては成果は出ません。
成果が出ることは何かを見極めて正しい努力をすることがとても重要だと思います。

――努力はするけど無駄な努力ではダメだということですね。ちなみに、どのようにして「正しい」かどうかを見極めていましたか?

PDCAを回すこと。特に「C」の部分を大切にしました。
PDCAという言葉は非常に一般的ですが、実際には「P」と「D」を繰り返しているだけのパターンが多いように感じます。
重要なのは「C」チェック・振り返りの部分です。
自らが立てた仮説に基づいて、アクションを起こした、その結果どうだったのか?
その結果に対して、なぜできたのか?なぜできなかったのか?どうすればできるようになるのか?
そういったことを常時振り返りしていました。
そうすることで課題の改善にも繋がるし、成功の再現性をもたらすことができます。仮説の質も高まっていきます。
ここは案外見落としがちですが、正しい努力を見つける上でとても重要なことだと思っています。

――確かに振り返りは大切ですね。ちなみに成果が出ない時のモチベーションの維持等で気をつけていたことなどはありますか?

あまりないですね。
モチベーションに左右されてしまうと潰れしまっていたかもしれません。
「絶対に諦めない」ということは決まっていたので、あとは、こなす!(笑)そんな感覚でやっていましたね。

――なかなかできることじゃないですね。ただ、軸には「絶対に諦めない」というのがあるんですね。

今の夢は「自分」から「社会」へ

大分トリニータとの出会い

――大分トリニータとの出会いと転職した理由を教えてください

VOYAGEGROUP(当時、株式会社Zucks在籍時)に、大分トリニータから問い合わせメールがきたのがきっかけでした。
「広告マネタイズの相談」という内容だった気がします。
サッカークラブの事業にはもともと興味があったので、担当の子の商談に同席をしました(笑)
その時に、大分トリニータの社長と経営改革室長と初対面しました。
今の課題を聞いた上で、自分自身のバリューが発揮できるかも?と思ったので、最初は複業として参画させていただきました。

――複業からの始まりだったんですね。ちなみに、どれくらいの期間複業していたんですか?

約1年半です。
月に1回大分県に行ってデジタルマーケティングの会議に参加をしたり、試合会場にも足を運んでSNS周りのサポートなどをしていました。
その中で、「あ、これ色々チャンスありそうだね」という話になり事業構想が始まりました。

――サッカービジネスについて少しお聞きしたいのですが、ここまでどのようなところに可能性を感じていますか?

まだこの業界に来てからは短いのですが、「スポーツは稼げない」というのは間違っているとは確信しました。
具体的には言えませんが、サッカーの価値というのは再定義し、正しいマーケティング手法を用いることで多くの可能性があると感じています。

――ありがとうございます。これからのスポーツビジネスの成長が楽しみになってきました。

夢は変わってよいもの

―― 夢について教えてください。山﨑さんは夢を持っているタイプですか?

はい、持っています。
ただ、夢はどんどん変化していくものだと思っています。
大学生の時は漠然と経営者になりたいと思っていて、今は形としては経営者になりました。
でも、これで満足か?と言われると決してそうではありません。
今は今でまた次の夢を追っています。

――夢のアップデートですね。では、今の夢や今後のビジョンはどのように描いていますか?

今の夢というか、人生のミッションみたいなものなのですが。
「社会のために生きたい」なというのは思っています。
企業は社会のためにあります。
スポーツという人の心を集められる事業をしている以上、社会貢献活動への取り組みは欠かせないものです。
経済活動と足並みをそろえて社会貢献にも力を入れていきたいと考えいます。

――スポーツを通して社会のために。素晴らしいですね。

とはいっても、まだまだ人生の1/3。
もっとたくさんチャレンジして、たくさん失敗していこうと思います。
失敗できるおっさんってカッコよいじゃないですか。

伊関ゼミは「強いチームの雰囲気」がある

ーー「ISEKIZEMI」での思い出について教えてください。

ゼミを選ぶ時に思ったんですけど、他のゼミと比べると「本気度」は違うなと感じましたね。
これはゼミに対してというよりかは、先生に対して感じたことです。

実際に、ゼミに入ってその感覚は確信に変わりました。
先生の本気度が高く、回を重ねるごとに私たち学生側も徐々に意識が上がっていました。
また、「意識が変わる」というとすごく精神面の話になってしまうのですが、私自身はスキル面での成長も感じていました。

ーー詳しくお聞きしたいのですが、具体的にどのようなスキルが身についたと実感していますか?

「話す」「書く」ことですね。
当たり前かもしれないですけど、このスキルを持っている人って少なくて。
伊関ゼミは、「人前で話す」「グループワークで議論する」「最後には必ず400文字以上の感想を書く」これを毎回行います。

  • 人前で話す度胸が身につく
  • どのように話をすると伝わりやすく・共感されやすいのかを考えて組み立てることができる(自分と他人と比べながら)
  • グループワークをすることで自分自身の強み・課題が明確になる
  • 考えや思いを音声だけでなく文章としても伝えることができる

社会に出て思うのは、「話せない人」「書けない人」が多すぎるということです。
そういった観点で伊関ゼミの方針は、日本の人材課題と結びついています。
一見、伊関ゼミの印象って「パワー・根性」に見えるのですが、実は非常に合理的なんですよね。

1年時と4年時で「話す・書く」のレベルが格段に変わっていると思います。

ーー両方ともすごく大事なスキルですね。他に山﨑さんが伊関ゼミについて思うことを教えてください。

やっぱり雰囲気ですね。
「強いチームの雰囲気」。これは他のゼミになくて伊関ゼミにある最も価値ある部分だと思います。
結局、一人で強くなっても仕方ないし、一人で強くなるのって不可能なんですよね。
人間って結局は環境依存型なので。
伊関ゼミは、「個のスキルアップ」と共に「チームビルディング」を非常に重要視しています。
分かりやすい例えだと、就活。
本来、就職活動は個人の戦いですが、伊関ゼミは違いました。チームで戦っている雰囲気がありました。
だから、就職率も希望就職率も高かったのだと思います。

ーー伊関ゼミの就職率が高い理由にはそういった背景があったんですね。最後に、現役の伊関ゼミ生にメッセージをお願いできますか?

私から皆さんにお伝えしたいのは、「22歳の時の差なんて、頑張れば埋められる」ということです。
既に名門大学の学生とは差があると感じるでしょう。事実、選択肢においては多少の差はあるかもしれません。
でも実際にその差は大したことない差です。
大したことないというのは、一生懸命努力をすれば取り返せるということです。
私は高校の時の失われた3年間を取り戻すために必死に努力をしました。
皆さんも努力をしてください。そうすれば必ずなりたい自分になれるし、社会で戦える人材になれると思います。
頑張ってください。

――山﨑さん、今日は本当にありがとうございました。

写真:(左)OBS大分放送アナウンサー渡辺 敬大氏 大分トリニータ東京観戦会にて

山﨑蓮さんのTwitterはこちら

 

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